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和田塾通信2013/10

2013年10月 和田塾通信〔№42〕

今月気に入った言葉、気になった言葉

『私たちは、毎日、生きています。誰かの人生を生きているのではないのです。自分の人生を生きているのです』

これは作家、故・三浦綾子さんのエッセイの中にある言葉です。長い間、病気との戦いをしながら、作家活動を続けてこられた 三浦さんの自らに対する励ましの言葉でもあったと思います。
若い時には感じなくても、年齢を重ねてきたり、大病との戦いをしたら、この言葉はズシっときます。一日という日が大事だということを・・・改めて感じます。

由布院の町づくり、旅館づくりに学ぶ「持続可能型経営」

東日本、北日本に住んでいる人は特にそうであるが、一般の人が「由布院って、何県にあって、どうやって行ったらいいの?」と思うのは普通だと思う。
東京方面からは大分空港か、福岡空港から行くのが一番の方法かもしれない。「由布院は温泉で有名!」とは知っていても、多くの人にとっては、海外旅行に行くのと同じように、一生に一度行くか行かないか、そんな非日常的な場所が由布院である。しかし、この由布院は、年間400万人の人が訪れる一大観光地になっている。
東京から最も近く、たくさんのホテルや旅館があるのは熱海である。戦後、高度経済成長の象徴的な温泉歓楽街として発展した。多い時には年間600万人強の人が訪れたが、今は300万人前後だという。
特に、バブル経済期に様々な資本が流入し、金融修羅場化したのが熱海であった。未だ、その後遺症は残り、地上げにあった行き先のない土地がまだアチコチに見受けられる。
今は温泉地というより、不動産投機として「温泉付きマンション」や「介護サービス付老人ホーム」などの開発が進んでいる。
そして、かつては熱海を代表した「ニューフジヤ」や「大野屋」などの大型ホテルは、時代の変化の中に沈んでいった。
この熱海を戦後の日本経済の一つの象徴としてとらえるならば、由布院はおそらく、高度経済成長にも無縁で、別府温泉の奥座敷的な温泉地として、ひっそりと静かに存在していたのだろうと推し量ることができる。
その高度経済成長の終わり頃、つまり、昭和40年代半ば頃に、今回、お会いし、お話しをしてくださった「玉の湯」の溝口薫平会長と「亀の井別荘」の中谷健太郎氏、「山のホテル、夢想国」の故・志手康二氏の三人をリーダーとする、当時、40歳前後の情熱溢れる人たちによって、由布院の隆盛物語はつくられてきたのである。
溝口さんの次の言葉が40年間の由布院づくりの根底にあると思う。溝口さんは、由布院生まれではなく「よそ者」として由布院に来た。
しかし「子どもたちが、この町に生まれて良かったと思うことができて、自信と誇りをもって暮らせる町にするには、まず何から始めたらいいのか」と由布院への思いは強い。
私は、この言葉は、国家も地域も会社もあらゆる共同体組織において、共通するのではないかと思う。会社でも働いている人たちが社員でもパート・アルバイトでも、自分の会社に、そして仕事に、誇りを自信をもてることほど素晴らしいことはないし、それが会社に溢れる活気の源(みなもと)になるからである。
山を越え、由布院に車で入っていくと、小さな擂(す)り鉢のような盆地に入ったことがよくわかる。平らなところは、そのほとんどが田んぼである。そして、その一角に由布院の町があるが、この盆地を抱きかかえるように由布岳(標高1,583m)が美しくそびえ立っている。
この豊後富士ともいわれる山を仰ぎ見ることから、由布院の人たちの一日が始まるそうだ。この由布岳は信仰の山でもある。実は溝口さんたちの町づくりの原点は「地元の人たちの信仰の山、由布岳が常に見える景観を守る」ということにあった。由布院は標高500mほどの盆地で、美しい田園風景が広がっている。この小さな由布院盆地が乱開発されないように、いつまでも心安らぐ町であり続けることを考えて行動してきたという。
紙面の関係から、多くは書けないので、ポイントを記すと、由布院は、溝口さんもおっしゃる通り、今や「ブランド」になっている。それは地域ブランドであり、観光ブランドであり、温泉ブランドであり、旅館ブランドの総称であるといってもよいだろう。
それだけ全国に知れ渡った名前ということであり、そこから様々なイメージを利用者は想像している。
このブランドづくりは一朝一夕にしてできたわけではない。40年以上の歳月をかけて醸成されてきたのである。それは溝口さんの「玉の湯」の考え方にもよく表れている。
「玉の湯」は入り口から雑木林に覆われた小路がフロントまで30mばかり続いている。何百本のクヌギ、コナラ、ケヤキなどの広葉樹、草もボウボウと生えている。そこには四季それぞれの花が咲き、小鳥や蝶、トンボなどが訪れる。中庭には、溝口さん自慢の桜の木もあった。
実は「玉の湯」が見事な林や森の中にあるのは自然なものではない。1971年(昭和46年)に土を全部入れ替えて、由布院で自生している樹林を移植してつくったのである。
温泉土を変え、樹林が茂るように40年かけてしてきたのである。由布院の町づくりもそうであるが、玉の湯も中国の道家(どうか)の思想家、老子が云う「人間の心のありようだけでなく、天地自然のなりたち、万物の根源についてなど、いわば自然科学的な視点」からすべての発想、行動の起点になっていると、私は溝口さんの話や書物などから、彼らの行動をとらえている。
したがって、自然を破壊するような乱開発はしない。高さ14m以上の高さの建物は立てない。みんなが良くなることを常に考えて決め事をする。
旅館組合の組合費の決め方もおもしろい。利益の何%かを収めることにしていて、ごまかそうとしても税務署がちゃんと調べてくれるから、みんなきちんとしているという。
さらに、「どこそこの旅館の接客サービスがいい」と聞けば、それを学ぶことができる仕組みになっている。料理人も同じだ(普通の温泉地では、あり得ないことであるが・・・)。旅館の代表の会合場所は、各旅館がもちまわりで提供、その時にその旅館の料理人の自慢料理を出させるそうだ。
それで褒められたり、「こうしたらいいのではないか?」とのアイディアももらう。それによって腕が上がる。料理人だけの料理研究会も定期的にあるという。
みんなで由布院をよくしていこうという意思であり、志であり、情熱が、「自分だけよければいい」という考えを払拭している。すごいことである。
つまり、由布院の方々は、みんな仲良しである。だからみんなで由布院という温泉街を良くしていこうという想いや志が一つになっている。自分だけよければいい、自分だけ儲ければいい!という考えがないのだ。
今のような自由競争時代では、「共生、共創」という言葉はあっても、現実には、なかなか難しい。しかし、由布院は、溝口会長がリーダー自ら範を示し、「地域全体が良くならないと、一人も良くならない」という考えのもとに活動してきたのである。
その代表的な例として「由布院ものがたり」(中公文庫)に次のように書かれている。「お一人様、1泊2食で34,800~57,900円というのが玉の湯の宿泊料金です。確かに高いですよね。
しかし、この料金設定にこそ、由布院ブランドを守っている秘密があるのです。40年前の由布院は無名で、旅館は30数軒、いずれも10部屋程度の小さな旅館ばかりでした。
その中には別荘旅館風、観光旅館風、団体旅館風というように違ったタイプの旅館がありました。そこで、性格が同じ旅館が同程度の料金を設定したのです。
癒しを求めるお客様、駅に近ければ、安い店でいいとおっしゃる方、お世話になった方を招待したいという人、学生から熟年夫婦まで、お客様の層も旅の目的も異なります。
その中で『どんなニーズにも合うような多様な宿泊施設を地域につくろう』というのが目的でした。
中谷健太郎さんの『亀の井別荘』、藤林晃司さんの『山荘無量塔(むらた)』、そして『玉の湯』の三軒が高額料金を設定しています。続いて3万円台、2万円台、1万円台があり、5千円台の宿もあります。
料金帯ですみわけて、お互いの市場を侵略しないという暗黙のルールを決めたのです。稼働率を高めるために値引きして、客を呼ぶことになると、その下の市場を侵食します。被害を受けた宿は仕方なく値引きして、さらに下の宿が苦しくなります。
利益確保のために、安い輸入材料を使ったりして、料理の質を落とす、悪循環です。
由布院では宿の質を落とし、地域の経済をも瓦解させることがないように値引きはしないのです」
つまり、由布院の売りは『由布院という田舎の山村を味わってもらうこと、素朴で自然豊かな癒しの宿を提供すること』にすべて帰結していると思う。
部屋数は18部屋ほどの玉の湯であるが、そこでは、百人近くの従業員が働き、お客様に心のこもったサービスが行き届くように努力しているということだ。
最近の流行り言葉となった「お・も・て・なし」精神ということでしょうか!
溝口会長のお話し、そして由布院の文献からのポイントはこんなところだろうか。一番大切なことは、私流に云うと「持続可能型経営」ということになる。
今、世界中で持続可能(サスティナビリティー)が叫ばれている。地球温暖化や近代化の行きすぎは自然破壊をもたらし、地球そのものにもダメージを与えてしまう。
しかし、各国の利害は対立し、政治的、経済的にも難しい局面に立たされている。今、日本は超高齢化社会を迎えている。
「大きくすること、便利すぎること」を排除し、小さな単位で暮らしていくことが必要になってきている。それは、結果として、自然環境を大事にするということだ。老子の考えの中に「天地自然の原則を知り、ほどほどに生きる」ということがある。由布院が今日あるのはまさに身の丈にあった「経営競争よりは共生の経営」で「思いやり経営」といってもいいし、「気配り経営」と言っても良いだろう。
日本は縮小時代に入っている。由布院モデルはこれからの日本の行く末のモデルにもなる「持続可能な経営」を実践している。

由布院のことをさらに知るためには、次の本をお薦めします
①『由布院ものがたり~「玉の湯」溝口薫平に聞く』(中公文庫)・野口智弘著
②「由布院の小さな奇跡」(新潮新書)・木谷文弘著

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