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和田塾通信2014/04

2014年4月 和田塾通信〔№47〕

今月気に入った言葉、気になった言葉

『忙しいことを楽しむ』

社会人になってから、ずっと忙しく働いているように思う。忙しいとは「心が亡ぶ」ともいうが、それは「やらされ感」があるからそう思うものだ。誰かにやらされていると思うと、自分の意志がないわけであるから、マイナス志向になる。私は40年間、ほぼずっと同じペースで動いている。忙しいと思ったことはない。「今日も仕事がある」「今日も人に会える」「今日もまた出張できる」と思えばワクワクする。

どんな時代でも「働きグセ」が会社の社風になっているところは強い

私は強い会社、良い会社の共通点をいくつか挙げているが、その一つに「働きグセ」がある。「働きグセ」とは長い時間働くことではない。私が考える「働きグセ」は
①仕事が好き
②イザという時に仕事を優先する覚悟を持っている
③効率よく仕事をし、常に成果を考えた仕事をしている
④働くことによって人間的な成長ができていると実感できている
⑤公正・公平な評価と報酬を得ている
少なくともこの5つの要素、条件を揃えている会社は、社内の雰囲気が「特別な気」で溢れている。つまり、良い気が流れており、働く人々の顔は明るく、笑顔もあり、挨拶もよく、共に働く仲間への気配りも溢れている会社である。
一方、この反対の会社は、社内の雰囲気が暗く、周囲の仲間への気遣いもなく、パソコンと睨めっこしている人が多い。社外の人への配慮より、ワンマン社長へのゴマスリや、上司の顔の様子だけうかがうというような社風になっている。こういう会社は、いわば「大企業病」とか「公務員型会社」といわれ、明るく楽しく働くということが「悪」になる。
一生懸命働くと、ひどい会社では「お前は働きすぎだ!少し社内の空気を読め!」と言われて叱責されるのが落(おち)である。
最近は少なくなったが、ある会社で、労働組合が強く「一生懸命働くと他の社員に迷惑がかかる」と組合幹部から注意されるという話があった。まぁ、こういう会社は業績も低迷するし、未来への希望もない。したがって、働いている人達に覇気や元気はない。
人間にとっての労働や仕事は、もう70年以上も前に、心理学者のマズローが「欲求の5段階説」で「人間は食べるため、生活のために働くのであるが、最終的には、やり甲斐とか働き甲斐とかの自己実現の欲求にまで昇るということが人間の欲求の中心にあるのだ」と説いている。実にこの理論は真理をついていると、長年コンサルタント業をやってきていても共感する。
だから、社長の仕事とは、共に働く社員やパート・アルバイトの人達にまで「働くことの意味や働きグセをもつことの巣晴らしさ」を経営観や仕事観として伝え続けていくことであり、それが重要な仕事であると思う。
私自身も生まれ育った環境が、両親が朝から晩まで働いているような状況であったから、働くことは全く苦にならず社会人になった。そして、社会人になって船井幸雄さんとともに働くことになった。
船井さんの信条は「働きグセの身についた社員の多い会社は強い」であったから、船井総研(創業当時は株式会社日本マーケティングセンター)は「徹夜もいとわない」という社風で溢れかえっていた。それは無理やりそうさせられたという感じではなく、「仕事をいただいたお客様のために全力を尽くして、評価されたい。いい仕事をしよう」という雰囲気の方が強かった。
また、仕事で成果をさせば、お客様から評価され、結果として会社からも評価されて、報酬にも結びついていったから、やり甲斐にも結びついたのである。
また何しろ、多くの仕事をやることによって仕事を通して自己の成長、能力向上が明らかに実感できたので、「やらなければ損だ!」という気持ちを持ち、また、同僚の多くもそういう雰囲気の中で鍛えられていたのである。
私自身は、既に船井総研を離れて20年を超えているが、船井総研は未だ「働きグセが社風である」と聞く。これはそういう職種ということもあるかもしれないが、会社に生き続けている一つの「カルチャー」ではないかと思う。
だからこそ100億円近い売上げになり、20%以上という経常利益を上げられる会社として存続しているのだと確信している。
その「働きグセ」の原点は、江戸時代の商人や明治の近代化社会づくりの産業報国の時代にあり、日本人の働くことへの価値観として根づいてきている。
私の出身地、山梨県は元来、貧しい県であるが、その山梨には「甲州商人」という商人魂があった。近江商人と並んで良い面でも悪い面でも甲州商人の歩いた後は「ペンペン草も生えない」とよく言われたものである。
明治時代から甲州商人は活躍し始めたといわれている。特に、この甲州出身の商人たちを「甲州財閥」と呼んでいるのが特徴的だ。しかし、「財閥」と呼ばれながらも三井や三菱のような財閥と異なるのは「系統」や「系列」というものが全くなかった点である。
明治以来、日本の経済界に王者のごとく名を連ねてきた人々、若尾逸平、雨宮敬次郎、小野金六、根津嘉一郎、小池国三、古屋徳兵衛、小林一三、小林中、小佐野賢治・・・、彼らはみんなバラバラで、それぞれ一枚看板を張っていた。そしてついに一つの系統もつくらなかった。
その理由は「長州や薩摩には藩主があって中心を形成し、後進を導き、引き上げ、一つのグループを成したが、幕府天領の甲州は中心になる藩主がいなかったからだ」とも言われている。
甲州財閥の名が初めて世間に浮かびあがってきたのは、明治20年代の末頃からで、東京の交通、電気、ガス事業などに力づくで乗りこんできた頃である。そのすさまじい進出ぶりに既成財閥も歯が立たなかったといわれている。
「裸一貫、無学、豪放、型破り、反骨、俊敏、巧妙、精神力」等々を備え、野武士的な特性をもっていた甲州商人であるが、忘れてならないのは「働きグセ」である。
山梨を捨て、それこそ「人の2倍、3倍働けば何とかなる!」を根底にもって時代を読み、多くの人と仲良くなり、したたかに生き抜いてきた。つまり「志と野心の魂」に溢れていた人々である。
今、時代の転換期である。こんな時こそ、この時代にあった「働きグセのある会社をつくる」ことが大事になる。あえて付け加えるなら、「働きグセ」は「勤勉」とも置き換えられる。今や死語となった言葉であるが、誠実に、一心に、という意味が含まれていることを忘れてはならない。

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