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和田塾通信2015/1

2015年1月 和田塾通信〔№57〕

今月気に入った言葉、気になった言葉

『他社、他人がやらない、できないことに チャンスあり』

同じことをやっても、うまくやる人、できない人がいる。会社も同じだ。「やらない、できない」を理由にする会社には、大別すると二つの理由がある。一つは、ワンマン社長がいて、社員が「全ては社長が決めることだから」と「やらない、できない」が常態化していること。もう一つは、会社の中に「やらない、できない」と言い訳をする体質があることだ。まぁ、チャレンジ精神がない会社である。

2015年は何に挑戦し、躍進しようとしていくのか
―戦後70年を振り返りながら―

2015年は戦後70年という節目の年である。明治維新の1868年からの147年であるから、この70年というのは、もの凄い勢いで近代化を推し進めてきたことになる。
今となれば、先の戦争は一体、何だったのか?300万人もの犠牲者を出し、焦土化した日本が「果たして立ち上がれるのか?」という状況の中から、世界から見れば、戦後の復興、そして高度成長を遂げたことは「驚きでしかない」というように映っていたのである。
これも一言で言えば、日本人の民族特性に由来しているだろうし、2000年にわたって築き上げられてきた日本人の生き方そのものが、そうさせてきたのだろう。
それは勤勉さ、他人を思いやる心、自然を大切にする心、受容の心等々であろう。70年という歳月は、私自身の人生の歴史とほぼ重なる。私の世代を堺屋太一さんは「団塊の世代」と名づけた。
この「団塊」の意味は「沢山の物が集まってできた塊(かたまり)」ということである。1947~1949年のベビーブームの時代と言われた、この3年間だけでも約800万人の人口になる。
まさに戦争が終わり「生めよ!増やせよ!」で、この世に生を受けた、その人口の塊が、その後の経済成長やヤングマーケットという市場、ニューファミリー世代、そして高齢化社会と日本の消費マーケットや雇用の面において、常に大きなインパクトを与え続けた70年であった。人口が多いから常に競争にさらされてきた。
生まれ、物心がついた頃には、まだみんな貧乏で、家には冷蔵庫もテレビも洗濯機もなかった。風呂さえついていなかった。
しかし、今になって自分の世代を考えれば、人数の多いわりには、社会に強烈にインパクトを与えるようなリーダーは出現しなかった。まぁ結局は、中途半端な世代と言ってもよいだろうと、私は思う。
第2次大戦の中心的役割を担った大正生まれの人達、昭和の文化を築いた昭和一桁生まれの人達、団塊世代は、この先達の築いた上に乗って来たのだと思う。だから「独創性」に欠如している世代でもある。
私は、この戦後70年の歴史の時間軸は、次のように分かれていると思っている。第1期は1945年から1970年、第2期は1970年から1985年、第3期を1985年から2000年、第4期を2000年以降から2020年から2030年位までとする、4つの節目である。
紙面の関係で詳細には書けないが、第1期の1945年から1970年は戦後復興と高度経済成長の期間である。家庭の中に、電気製品が徐々に増えていった時代だ。
特に50年前の1964年に開催された東京オリンピックの時、テレビの普及率は90%に上ったと言われている。
松下幸之助氏の教えである「水道哲学」とは「水道の水のように大量に安くて買えるように、電器製品を開発、普及させる」というものであるが、それがこの頃の日本の大量生産、大量販売のシステム構築の基本的な考え方として生まれた。そして「消費は美徳」という社会的な風潮が社会大勢を占め、一生懸命に働いて所得を増やせば欲しいものが買えるという欲求を国家をあげて煽った。
私が大学を卒業したのが昭和45年、1970年。大阪万博が開催され、半年で約6,700万人強の集客があった。この万博を機に、新しい大衆消費時代が到来した。
第1次、第2次オイルショックに代表される、大量エネルギー消費時代に入り、石油がエネルギーの主流を占めるようになった。
1970年、敦賀原子力発電所が開始され、そこでつくられた電気が万博会場へ送られたように、石油をエネルギーの主流とする一方で、原子力がこの頃から戦略的エネルギーとして開発され始めたことを忘れてはならない。
また、大量消費社会の到来の中で、成長産業になったのがチェーンストアーと呼ばれた量販店やスーパーマーケットである。またファッションという概念が出現し、アパレルや専門店が小売業として確立したのもこの頃である。
私も、この時代に経営コンサルタントとして流通業界に関わることになり、「マーケティング戦略」「経営戦略」について学び、実践体系化をする役目を負うことになった。
この時期にファミリーレストランやファストフードが外食産業を築き上げた。コンピュータも大企業を中心に導入され始めた。そしてファイナンス(金融)事業の一つとしてクレジットが大衆消費を喚起し、サポートする役割を負うようになり、いち早く東京市場で月賦店として創業した丸井が自社クレジットを開発し、クレジットとファッションをパッケージ化してヤングファッションやインテリアなどを売り、新しいビジネスを構築したのも1970年代からである。
第2期の1970年から1985年は、第1期の後半、1964年(昭和38年)の東京オリンピックから1970年の万国博覧会までの期間頃に生まれたものが社会に定着していく時代でもあった。
1973年と1979年に第1次、第2次オイルショック(石油危機)があり、資源のない日本は、根本的にエネルギー政策の見直しを迫られた。前述したように、新しい消費社会が所得向上とともに生まれたのである。
その中心商財は「自動車」と「住宅」だった。1972年、時の内閣総理大臣、田中角栄が「日本列島改造論」を政策網領としてぶち上げた。その骨子は「日本列島を高速道路、新幹線、本州四国連絡橋などの高速交通網で結び、地方の工業化を促進し、過疎と過密の問題と公害の問題を同時に解決する」というものであった。この発表によって、土地はまたたく間に値上がりした。
それから40年の歳月が経つが、この列島改造論は、自然破壊や公共投資体質などの、課題を生み、地方と首都圏との格差が現在、クローズアップされている。しかし、今となっては、移動に便利になりすぎてかえって地方の過疎化、空洞化に結びついてしまったのではないかと思う。
自動車と住宅開発は「郊外化」をもたらし、それからの20~30年後の現在まで、各地で商店街の消滅、大型店、ショッピングセンターの隆盛をもたらした。
第3期の1985年から2000年までは、一言で言えば、それまでの工業中心型の社会から情報社会への移行としての大転換期に突入する期間でもあった。1985年のプラザ合意によって、変動相場制の導入は、日本の製造業、特に、電気と自動車の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を生み、米国との経済摩擦を呼び込むと同時に1989年をピークとする「バブル経済」への呼び水となった。
1988年は、私が在籍した船井総合研究所が大阪第2部に上場した年でもあり、この80年代中頃から、ベンチャー企業が生まれ、新しい事業分野の新しい起業家が出現し始めた。
ソフトバンクの社長、孫正義氏などもこの頃に創業を始めている。またベンチャー企業に投資し、株式公開を支援するベンチャーファンドも80年代に黎明期を迎えたのである。
同時に、1989年をピークに空前絶後の過剰流動性によって、金融機関から市場にバラ撒かれた資金はバブルの崩壊という形で結末を迎えた。
その当時のバラ撒かれた資金の総額は200兆円とも300兆円とも言われているが、それは定かではない。いずれにしても1997年の山一證券や北海道拓殖銀行の破綻に見るように、異常な事態が10年は続いたが、その後も「失われた20年」といわれ、日本経済の混迷は続いた。バブル経済の後遺症は今をもって解消されていないのが現実なのだと思う。
しかし、この時代にも世界は動いている。1980年代から米国は大きな二つの戦略を国家戦略として掲げ、官民こぞって取り組んだ。それは「金融資本主義」と「IT戦略」である。
前者は、金融工学を学んだ新しいエリートが新しい金融商品や仕組みをつくった。しかし、2008年のリーマンショックによって、世界的な金融危機が発生した。だが、水面下では、金融戦略は米国の国家戦略であるから、ストップするわけにはいかない。次から次へと新しい金融商品を創り、世界へファンド事業を展開し、事業再生資金やM&A資金として「お金がお金を生むビジネス」をやり続けている。
「IT戦略」とは、1995年から本格的にインターネットをビジネス化し始めるが、その前の1980年代半ば頃からパソコン時代を生み、天才経営者の一人であるビル・ゲイツが創業したマイクロソフト社がパソコンのOS、ウィンドウズを売り出し、90年代には、世界の事実上のデファクトスタンダードとなり、シェア90%を握るまでになった。
そして今、世界は1990年代に生まれたヤフーやグーグル、そして80年代に生まれたアップルなどが登場し、2000年以降は、文字通り、インターネット時代、モバイルフォン時代、そしてコンテンツ(ソフト)を中心としたスマートフォン時代が到来して、全く新しい産業革命が進行している。それが第4期の時代である。
ソフトバンクは巧みな資金調達戦略をもとに「世界№1の情報通信会社となる」を掲げ、業界の通信会社をM&Aによって手中に収めることでNTTドコモをも凌駕する規模となり、現在、世界第3位の会社になった。まさに情報革命という時代変化の中で、チャンスにチャレンジしてあっという間に時代の寵児となった。
これまで簡単ではあるが、戦後70年の時代の流れを書いてきた。これからの時代も、この70年の歴史の延長線に未来も存在していることは事実である。しかし、これからの時代は、経営者にとって大変難しい経営手腕が必要とされる。
私は経営者にとっての役割と責任は、集約すると次の三点になると提言してきている。
1.会社を倒産させてはならない。そのために、財務内容を常に健全にしておく。特に「時流適応戦略」と「原理原則」をバランスよく経営に活かす
2.社員の心を一つにして全員参加型経営を推進する
3.常に経営革新をし続けて、時流に合った経営をする
である。これからの20年から30年にむかって、社会環境は大きく変わる。その代表的なこととして
1.少子高齢化
 人口は減り続ける。働き手も減る。つまり戦後70年で成功してきた人口増加を前提としたビジネスや供給システムは通用しなくなる。特に「機会の窓」によると、経済が最も発展するのは、「人口全体に占める子供(0~14歳)の割合が30%以下かつ高齢者(65歳以上)の割合が15%であるような人口構成が達成されている期間」をいう。
日本は2010年で中心世代が45歳、2030年には52歳になる。成長期間は1965~1995年の30年間であった。
したがって、この理論によると、日本はすでに成熟化社会に入り、新しい国の形が求められる。日本は少子化、高齢化が同時に進行し、財政問題を含めて早急に対応しなければならない。
2.グローバル社会化
 日本の輸出企業はかなりのスピードで消費地(売主)に近い所に生産基地を移転している。これもグローバルの一つである。だから輸出という概念がこれから変わっていく。
 例えばトヨタであるが、世界販売台数は約1,000万台である。日本では300万台の生産を死守すると発表している。あとの700万台は世界各地で生産する体制を整備している。
日本の飲食店が今ほど海外へ出店を加速している時代はない。日本食がブームになり、世界で脚光を浴びている。やり方によっては誰にでもチャンスがきているのである。
外国人観光客も、2020年までに2,000万人を目標としている。国内消費でも、外国人の消費が2,000万人になると6~8兆円のインパクトを与えるだろう。
3.IT化
 今やスマートフォンはパソコンレベルの機能を持つ端末機で、ライフスタイルを変えつつある。また、新しいビジネスでもインターネットやスマートフフォンを使いこなす会社にとってビックチャンスである。
これからは医療の分野でも、ITを使いこなすことによって新しいビジネスが生まれる。人工知能やビックデータも、IT化の中で新しいビジネスを生みつつある。ITのわからない会社や経営者は時代から取り残されるとか、消滅せざるを得ないだろう。
また「クラウド化」によって、ビジネスの仕組みや働き方が大きく変わる。クラウドの研究をしなければ生き残れない。
以上の3点は、避けて通れない環境変化である。すぐに対応を求められることとして、1つめは2016年1月から導入されるマイナンバー制度である。国民一人ひとりや各企業に個人番号、法人番号を割り振る社会保障・税番号制度(マイナンバー制度)の開始まで、1年に迫った。
日本には500万を超える事業会社があるが、規模の大小を問わず、全ての会社が対応しなければならない。別の言い方をすれば、国家管理から逃れられない制度が導入されるということである。
2つめは、1年延期された消費税10%への対応である。
3つめは、燃料コスト増である。これ以外にも様々なコストが上がる。これらに対応していかなければならない。
2015年も一言でいえば、厳しい時代であることは間違いない。しかし変化にチャンスがあるということを信じ、経営に取り組まなければならない。

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