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和田塾通信2015/7

2015年7月 和田塾通信〔№63〕

今月気に入った言葉、気になった言葉

『人は夢中になれるものがあればすくわれる』

103歳の美術家、篠田桃江さんの言葉である。「なぜ私がこの歳まで書いてこられたのかは『書く』ことに夢中になれたから。だから年齢も気にせず元気にやってこられた」とおっしゃる。人間にとって「生き甲斐」とか「やり甲斐」が精神的に大事で、それが目標になったり、誰かのためになったりもする。夢中になれるものがあれば、充実した人生が送れる、それも長寿の秘訣なのかも知れない。

戦後70年―所有(土地本位制)から活用(知恵)の時代に変化―

日本には「土地神話」という言葉がある。土地(不動産)があれば、それを担保にそれ相応のお金が借りられ、それをテコに、次の投資によって成長できる、あるいは土地を持っていれば、それは必ず値上がりして、その土地を売却することによって「値上がり益=キャピタルゲイン」を得られると、日本人には「財産=土地」という概念が歴史的に刷り込まれてきている。さらに社会的にも土地持ちは「お大尽」と呼ばれ、羨望の眼差しで見られてきた。
また、明治以降の近代化政策による産業群も、重厚長大産業が中心に育成され、それらの企業群は広大な土地を必要とした。鉄鋼業であり、造船業であり、紡績などの工場を必要とする繊維産業等々も同様である。
もう30数年前になるが、ソニーグループの仕事をコンサルした時に運よく、ソニーの創業者である故・盛田昭夫さんにお会いしたことがある。
その時に案内されたのが御殿山の本社内にあるソニー博物館。戦後の代表的なベンチャー企業からスタートしたソニーは、高度経済成長期頃から「世界のソニー」として世界進出を果たし、それまでの重電型の日立や東芝とは違う路線、そして、当時の松下電器(現パナソニック)やサンヨーなどの家電主力の電器メーカーとも違う「新しい商品」を開発し、「おもしろいソニー」「小さな商品開発の上手なソニー」としての地位を不動のものとして築いてきた。その盛田さんにお会いした時、盛田さんが指さした商品が「トランジスターラジオ」であった。小さな高性能ラジオが世界で売れに売れ、「そして、この商品で、今、本社のある御殿山の本社土地を買うことができたし、厚木の工場を造ることもできました」とおっしゃったことを鮮明に覚えている。
しかし、それから30余年がたち、ソニーが戦後、まさにグローバル企業として成長していったのとは裏腹に、この10年近くは、リストラに次ぐリストラの連続で、つい最近は創業者の盛田さんや井深さんが手に入れた御殿山本社も手放すというニュースが流れた。
これをどれほどの価格で売ったのかは知らないが「ソニー村の消滅」ということである。
しかし、ソニー創業の地と言われる御殿山は1947年に、この地に創業者たちが本社を移してからだから、当時の土地の価値と現在の価値とは比較にならないほどの土地の含み益を生み、今のソニーの窮状を助けたということからしても、戦後の日本の会社経営の根幹をなす土地本位制が根底にあったからこそとも言えるだろう。
戦前戦後から世界の経済の経済価値体制は「金本位制」で回っていた。それに対し日本は、第二次大戦後の復興期から高度経済成長期、そして1990年のバブル経済崩壊などの約45年間において、「土地を経済、経営の根幹とする」というのが日本独自の経済体制を象徴する考え方であると捉えているが、それが常識的なところであろう。
この時代、銀行が顧客へ貸し出しする時は、ほぼ100%の率で土地を担保に要求した。つまり、銀行は土地の価値によって、事業資金を貸し出す仕組みを創ったのである。一方、欧米では、銀行から融資を受ける際に重要視されるのが事業収益性。その事業で、どれだけ利益が出せるのかがポイントで、その事業収益から返済計画を立てるというものだ。
しかし日本は前述したように、土地をどれだけ持っているかがポイントになる。それは「地価は値上がりし続ける」という土地神話に根ざしたものであった。
高度経済成長期には地価は値上がりし続けたので「借金をして土地を買っても将来、土地は値上がりしているから、売れば借金を返済してもまだお釣りがくる」という社会全体の共通認識(コンセンサス)もあった。
次のような説を唱える人もいる。「戦後の復興経済成長期、次の高度経済成長期の頃、日本の金融制度、とりわけ融資制度には、高度な知識やノウハウが確立されていたわけでもなく、銀行が貸し出しする時には土地=不動産を評価することが最も簡単で雑駁(ざっぱく)な評価としてやりやすかった」。
確かに土地担保による経済システムであれ、金融システムは高度経済成長を加速するものであったようである。専門家の中には「『日本の凄い成長は何故なのか?』という海外からの疑問に対して、長い間、この日本独自の土地本位制に気がつかなかった」ということを言う人もいるくらいで、その後、欧米諸国でも社会インフラ(水道や下水、ガスなど)が整備されていれば、不動産でも価値が上がり、それを担保にした金融システムを確立したということも言われている。
戦後、日本の経済成長の根幹になったものは「土地本位制」ともう一つ、大企業同士あるいは大企業と銀行による「株式持合い」という制度である。これによって、企業間同士の信用制度を築いたことも超スピード経済成長を達成した理由として挙げられている。
この土地本位制をさらに加速させる出来事が起こった。それは1972年(昭和47年)、田中角栄が自由民主党総裁選を翌月に控えた6月11日に「日本列島改造論」を政策綱領として発表、本も発売したが、これは90万部を超えるベストセラーとなった。
この改造論は産業道路、新幹線、本州四国連絡橋などの高度交通網で結び、地方の工業化を促進し、過疎と過密の問題と公害の問題を解決するという主旨のものであった。
この政策を発表したことにより、土地は全国で値上がりし、「ここに新幹線や産業道路やインターチェンジができるだろう」といった情報が入り乱れ、土地の高騰をもたらした。それに伴い物価まで上昇、インフレが発生し、1973年には物価高が社会問題化した。田中角栄がぶち上げた公共事業は、現在、ほぼ形となって存在している。
当時、人口はまだ増加していたし、首都圏への人口の集中化が起こっていた。しかし、人口減少、高齢化という社会問題を抱えた今、「地方創生」などという政策が掲げられているが「田中角栄だったらどう考えるか?」と思うのも一興である。
さて、戦後の経済成長を支えた「土地本位制」は国民の所得向上とともに新しいビジネスを生むことになる。その代表的な業種が二つある。一つは「流通業、小売業」だ。とりわけ1970年代初頭から全国にチェーン展開したスーパーと呼ばれた量販店企業群。さらに「レジャー産業」がある。
前者の代表的な企業がダイエー(現在は消滅)だ。ダイエーと共に成長してきたイトーヨーカ堂はセブン&アイグループを形成し、ジャスコはイオングループとして大型ショッピングセンターを強みとして生き残り、この2社が流通業界の二大勢力となっている。
そうした中、2004年10月13日に駆け巡った二つのニュースが産業界に驚きを与えた。一つは「ダイエーが自主再建を断念し、国の産業再生機構に支援を要請」したこと。もう一つは西武グループの総帥、堤義明氏が「上場基準違反と有価証券報告書虚偽記載を発表、グループの全役職を辞任」したことであった。
共通点は巨額有利子負債(ダイエーは1兆円、西武は1兆2千億円)を抱え、返済が困難になりつつあったことだ。根底にあったのが土地の下落であり、その帰結が土地本位制の崩壊である。
私が20~30代の時に船井幸雄さんの元で主に流通小売業のコンサルティングをしていた頃、ダイエーやイトーヨーカ堂、ジャスコなどは飛ぶ鳥落とす勢いで全国展開していた。
ダイエーは大阪から首都圏に進出するために「東上作戦=レインボー作戦」と称し、1969年(昭和44年)に原町田、赤羽、東戸塚などに次々に出店。西のダイエーが東京に進出して最初に赤羽で西友と戦ったので赤羽戦争と言われ、その後、津田沼でイトーヨーカ堂と戦ったので津田沼戦争と言われた。
ダイエーの戦略は、郊外や住宅地周辺の土地を買い、スーパーを建てる。商業地として価値が上がる。それを担保にまた別の場所で土地を買い、スーパーを建てる。それを繰り返す。創業者である中内功氏の著書『わが安売り哲学』(1969年版)にはこう書かれている。
「土地の利用は無から有を生じさせる力を持つ。そして自らの力で地価を高めることができる。その十倍の借り入れをも可能にする」
当時、創業から12年、錬金術としての土地本位制の本質を見事に言い当てている。その後、中内氏は福岡市が開発した百道浜に広大な土地を買い、ホテルとドーム球場を建てた。この土地はダイエーの多角化戦略の一環としてのものであった。
その施設を建てたことによって、この土地の価値は10倍以上にもなったと言われている。しかし、ダイエーの挫折により、紆余曲折あったが、ドーム球場はソフトバンクグループに買収され、プロ野球球団ダイエーホークスはソフトバンクホークスとなった。
中内さんのような夢大き創業者が、この地にドームやプロ野球を持ってきたことで、福岡経済への貢献ははかり知れないものがあるが、その志を引き継いだソフトバンクグループの孫正義氏と、創業経営者としての志の因縁がどこかで繋がっているのだろうと思えてならない。
わが師、船井幸雄さんが当時、コンサルタントとして次のようなことを提唱していた。「小売業は地域一番でなければならない。地域一番店を創れば、そこに一番人が集まる。人が一番集まるところが土地の価値が高くなるものだ。だから一番店づくりをすれば、不動産価値も上がり、担保価値も上がる」
この考え方に追随し、百貨店の中で後発ながら、一番店づくりをしたのが「そごうの水嶋廣男氏」であったが、1兆円を超える負債を抱え頓挫してしまったことはまだ耳新しい。
一方、レジャー産業で大王国を築き上げた西武グループは、創業者の堤康次郎氏と二代目後継者、義明氏によって、土地本位制を企業戦略に取り込んだ。その考えは、西武鉄道やプリンスホテルの持ち株会社であった「国土計画」という会社の名前にも表れている。
戦前から山林、原野などを格安で購入、別荘地、観光地の開発を手がけ、戦後は都心にある旧宮家などの土地を相次ぎ取得して、多くのホテルを建てた。
創業者であり、衆議院議長まで務めた堤康次郎の政治力がいかされたことは巷間伝わることである。二代目、義明氏は前述した田中角栄の「日本列島改造論」によって創業者が買い漁っていた軽井沢や箱根にホテルやゴルフ場を開設する。それによって、さらに土地の付加価値をつけ、担保価値を高めていった。
ダイエーと西武は土地を持つ、戦後の代表的な新興企業になった。銀行は頭を下げてまで金を貸し出した。しかし、この2社には共通した「大義」があった。戦後の貧しさの中から立ち上がった日本人の、少しでも豊かになりたいという想いに寄り添った企業戦略があったということであろう。西武は軽井沢や箱根を「大衆レジャー社会のメッカ」として構築、全国に展開するスキー場とホテルも冬の大衆レジャーを創出した。
西武鉄道沿線には野球場を創り、球団も保有した。沿線に住宅やマンションも開発した。ダイエーは「大衆消費社会」や「一億総中流」を目指した。「豊かになりたい」と思う欲求だ。このウォンツに応えるために全国に店を展開していったのである。
しかし1990年、バブル経済の崩壊と共にこの2社にとっての潮目が変わる。金融政策の変化と土地価格の下落だ。バブル経済崩壊と共に戦後の日本経済の根幹を支えた「土地本位制」「土地神話」は幻想へと変わったといえる。
景気の悪化、デフレ、それに追い打ちをかけるように人口減が様々なマーケットに影響を及ぼし始め、社会構造も「情報」が中心になってきて、2000年を境に大きく変わる。
そうした中で、2000年以降も成長している会社の共通点は、小売業でも店舗を所有せず、顧客のニーズを上手に商品やサービスに反映してきたことであろう。ユニクロやニトリなどはその代表的な企業であるし、社会インフラ店舗として「近くて便利」をキーワードに成長をし続けているコンビニもそうだ。
また、ソフトバンクや楽天に代表されるように、インターネットというドメインの中で通信やコンテンツ、そして物販やサービスを提供する会社が巨大化してきている。
そういった面で、これからも「マーケティング企画力」、つまり「最新のITテクノロジーを理解し、顧客ターゲットを明確にして、本当に欲しいと思われる商品の開発をし、売り方もお客様のニーズに合ったこと」を企画・実践できる会社に成長チャンスがあるだろう。新しいビジネスモデルを創る会社にとっても「土地=不動産」が大きな武器になる時代は終わった。「知恵」「活用力」の時代が来ているのである。

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