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和田塾通信2016/2

2016年2月 和田塾通信〔№70〕

今月気に入った言葉、気になった言葉

『「立派な建物ですね!」と評価されるより、「素晴らしい社員の方ですね!」と評価される方がよい』

私は様々な会社に行くが、その時に見るのは、建物と社員の比較である。どんな立派な建物に入っていようと、自ら建てた社屋であろうと、会社の社員の対応や笑顔によって、その会社の評価は変わる。

昔も今もニュービジネスに取り組まなければならない―戦後最大のニュービジネスだった量販店の成長と衰退-

歴史や過去は様々なことを教えてくれる。社会人になって40年が過ぎ、日本の高度成長期、円熟期、バブル経済とその崩壊、製造業に力がつき、工業化社会を創ったこと、情報社会と情報経済社会への変化、金融事業の多様化といった変化を、社会人として、ビジネスの一線で働く者として、そして経営コンサルタントとして社会や米国、様々な会社に見てきた。
その目まぐるしい変化の中では、会社を大きくするだけでは生き残れない。リーダーの経営力、そして、優秀な人財の力やその人間によってなされる変化対応へのイノベーション(革新)がなければ生き残れないということまざまざと見てきた。
1970~80年代に、仕事でダイエーやイトーヨーカ堂、そして地方のチェーン店などの会社と関わることができた。当時の量販店といわれるこれらの企業群は、元々、衣料品店、呉服店、八百屋、薬屋、魚屋などを営んでいた商人によって“企業化”されたものである。 
その人達が、30代の頃に米国で成長するチェーン店を視て「これからは日本も大衆が豊かになって、小売業もきっと成長する業界になるだろう」という将来へのビジョンを持った。そして彼らが、40代から50代にさしかかった頃、量販店は成長期に入っていった。
この頃、既に大手量販店は株式も上場していていたが、値上がりした土地を担保にして、次々と地方都市への進出をしていった。
当時の量販店は、出店する都市の、比較的中心地に近いところに売場面積1万~1.5万㎡位の規模で、駐車場も300台前後のスペースを確保していた。売場の半分は直営店(ダイエーやイトーヨーカ堂の自社売場)にし、残りは専門店を入居させ、トータル力で店舗としての魅力をつくった。
さらに自ら食品(セルフ)、化粧品、ファッション(衣料)や家庭用品などを扱い、「ワンストップショッピング(一つの店で何でも買える)機能を持つ」という業態で出店していった。
そして出店先の都市で老舗といわれた地方の百貨店と競合し、席巻していった。その出店立地は駅前の再開発や工場の跡地などである。
ジャスコ(現在のイオン)などは、同業他社と合併しながら、地方の中型量販店を次から次へと自らのグループに入れていった。現在、トップに君臨している岡田社長はその合併のリーダー格であった岡田屋(三重県の量販衣料店)の血筋である。
当時の量販店は、ダイエーが1970年に小売業の売上トップになるなど、その勢いは凄く、百貨店の殿様商法に対して、野武士商法と言われ、「戦国時代の織田信長や豊臣秀吉が地方攻めをしていった頃を彷彿させる」とまで例えられていた。
ここで何故、量販店が1980年代のバブル崩壊くらいまで成長したのかを整理してみると
1.上昇志向の強い、同世代の小売業者が「これからの日本は豊かになり、米国のようなチェーン店、総合品揃店が成長するぞ!」と強く確信した
2.同世代の経営者が切磋琢磨し、学び、競争しあった。そして起業家精神が醸成された
3.常に変化に敏感であった
4.消費者のことをよく研究し、常にお客さんが欲するもの、喜ぶことに対応していった5. 出店の仕方、規模、情報システム(POSシステムなど)、店舗運営等々企業としての小売経営を確立していったなどである。
しかし、1980年代後半、バブル経済が成長著しいこの量販店企業に襲いかかった。それまでも成長はしていたものの、自己資本が薄く、出店に次ぐ出店で自転車操業となり、さらに80年代は「脱・小売り」ということで、どの企業も「多角化路線」をすすめていたところである。
その新規事業は、ほとんどが赤字で、それも本体の財務体質を弱くしていた。唯一、イトーヨーカ堂グループは経営戦略も元々、手堅い会社であったが、コンビニのセブン・イレブンが着実に数も増やし、利益を出し続けていた。それが現在のイトーヨーカ堂グループの売上げや利益の中心企業になっている。
売上高日本一となったダイエーやマイカルなどは、多額の借金をしていたことによって、バブル崩壊後の金融政策の変化のため、結局は倒産という形でその企業の命を断った。
私はよく福岡に行くが、現在「ヤフオクドーム」が存在しているエリアである百道浜(ももちはま)は、1980年代初頭から、福岡市が戸建て住宅やマンションを建て、ビジネスエリアを開発した地である。
その一画にダイエーの創業者、中内功氏は、ツインドーム(二つの球場)を建て、ホテルやレジャー施設を中心とするグランドデザインを描いていた。
その途中にバブル経済に襲われたが、大型ホテルとドーム球場は完成させ、大阪を本拠地とするプロ野球チーム、南海ホークスを買収、福岡にそのフランチャイズを移した。それでも結局は、ダイエーの破綻によって、現在は、球場もチームもソフトバンクグループになっている。
だが、この百道浜エリアを開発し、そこに住居、ビジネス棟、ホテル、レジャー施設を誘致することによって、人が集まり、海岸だった場所は市にとっても、多額の不動産税が入るような価値あるものに変わった。
そして何より、ヤフオクドームには、年間300万人を超える地元のファンが集まって球団を応援しているし、様々なイベントやコンサートなどがあり、賑わっている。
今となれば、当たり前の風景であるが、もし、これらの施設やプロ野球チームがなかったら、福岡の都市としての付加価値は今のようになっていただろうか?
ドーム球場、プロ野球チームの存在によって福岡市民の“気分のありよう”が違う。そういった面で、日本のプロ野球のエンターティメント性、土着性は地方創生にとって、大きな資源になっている。
ただ残念ながら、人口150万人のマーケットは必要だし、スポーツビジネスとして、まだ経営ノウハウが確立しているとは言い難い。
こうしてみると、安売り哲学を掲げ、一大小売集団と生活総合産業を標榜する新しい企業集団を創り上げようとしていたダイエーの創業者、中内功氏が福岡に目をつけ、そこに一大レジャー商業施設を創ったことは、投資的、財務的な評価は賛否両論あるが、今となれば、それは中内氏の福岡市民への置き土産となった。
米国においても地方都市にボールパーク(野球場を中心とした公園のような施設)は、当たり前の存在になっている。特に州を代表する都市には、このボールパーク、アメリカンフットボールのスタジアム、バスケットのアリーナが存在する。しかもビジネスとして、成り立っているのである。
中内さんのような、ある種、ワンマン経営者であり、大きなビジョンを掲げ、起業家精神を持った人がいなければ、このようなことをゼロから決断して創りあげることはなかなかできない。
1980年代は、この和田塾通信の別稿でも書いたが、日本の戦後復興、高度成長期を経て、大きな転換点であったことが分かる。産業構造も「重厚長大」から「軽薄短小」へシフトし始めた。金融も円対ドルは変動相場制になり、豊かな中流家庭を築いた日本の消費は「物余り」「物離れ」に移行するといわれ始めていた。
そして大衆が自らのファッションに投資する「me消費時代の到来」といわれた。レジャー化時代とも言われて、マイカーが本格化し、家族で旅行に出るようになり、海外旅行にも行き始めたのである。
軽薄短小の代表商品は、その後のビジネスのあり方を変え「ネットワーク型ビジネスのインフラ」となるパーソナルコンピュータの出現である。
そのソフト、ウィンドウズを世に出したマイクロソフトの創業者、ビル・ゲイツは億万長者になり、この30年来、世界を代表する経営者であり、起業家として、いまだその存在感は衰えていない。
一方で、1980年初頭に、四国、徳島で「PC-100対応日本語ワープロソフトJS-WORD」を開発したジャストシステムが一躍脚光を浴びた。この製品は1985年に「一太郎」として発売され、DOS版日本語ワープロの代名詞的存在となった。
当時、ビル・ゲイツがこの会社と手を組もうと買収を申し込んだといわれている。いずれにしても「ジャストウィンドウズ」は、windowsが広まる以前に、日本で唯一かつ最も使われたウィンドウシステムになった。この創業者、浮川和宣氏も起業家精神あふれる経営者であった(現在はジャストシステムから退いている)。
そして、ジャストシステムは高収益企業、キーエンスの傘下に入り、教育事業などに注力、新しい成長路線を進んでいる。こうして振り返ってみても1980年代は、戦後からの30年であり、現在からみても30年前である。
かつて、日本経済新聞が「会社の寿命は30年」というレポートを出して、話題になったことは記憶に新しい。それは、戦後から80年代までの30年に多くの会社が生まれ、80年代にまた多くの会社が消滅していったデータからによるものと思っている。
80年代から、この30年で前述した戦後最大の産業の一つになった量販店やスーパーマーケットは多くの会社が倒産したり、合併したりしている。つい最近もダイエーがイオングループに入り「ダイエーの名前が店舗から消える」ということが話題になった。
だが、戦後生まれたニュービジネスの視点からも、量販店が一時代を築き、その後成長したユニクロやしまむら、あるいは家具チェーンのニトリなどのお手本になったことは間違いない。
しかし、昨年あたりから全国に約1,850店ある量販店=総合スーパーに大量閉店の波が押し寄せている。イトーヨーカ堂は2020年までに40店閉店する方針を固めた。名古屋に本拠地をおくユニーグループも「最大で50店閉店する」検討に入った旨、ニュースが流れた。
構造不況といわれて20年たつ。量販店やショッピングセンターが出店していって商店街や百貨店がダメージを受けた。そして今、量販店が消え去ろうとしている。表はその量販店の苦戦の推移である。(出典:日経MJ新聞)
米国でも同じような現象が、この20年、繰り返し起こっている。1940~1970年代まで、世界の小売業としてお手本になった「シアーズ・ローバック」も破綻した。80年代前半に、シカゴに世界一高いシアーズタワーを建て、その隆盛を見せつけたが、今、そのタワーから名前は消えている。
一方で、1980年代から米国の片田舎、アーカンソー州を本拠地とするウォルマートが注目を浴び、90年代に10兆円企業になった。現在は30兆円を超える世界最大の小売企業になっている。
日本でも量販店、西友ストアーを買収し、今、静かに再生をしているところで、米国流ノウハウが日本で通用するのかどうか注目である。
このウォルマートの創業者、故・サム・ウォルトンの経営哲学は、日本の商人精神とよく似ているところがある。「お客様第一主義」をその骨格に置いていて、巨大企業になっているのも素晴らしい。そして、リアル店舗と並行して「ネット小売」として「オムニチャネル化」への手を打ち始めたのが最近のニュースである。
前述したように80年代はビル・ゲイツが登場して、新しい時代の象徴となり、日本でも量販店が隆盛したが、その陰で既に衰退の兆しがあったということである。
そして小さいながらもニュービジネスに取り組み始めた若き起業家も出てきた。次回は新しい時代と共に生まれるニュービジネスに焦点をあててみる。
ビジネスには栄枯盛衰があり、業界ごと消滅するものもある。そしてまた新しいビジネスも生まれる。その繰り返しの中に進化があるということをこの量販店の成長と衰退が教えてくれている。

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