今月の学び(2021.5 №42)

長寿企業 ▪ 家栄える法-その㉔(最終章)戦後、日本の商人に「商人道」を説いた倉本長治先生の存在 

24回にわたって長寿企業について書いた。日本は世界一、長寿の会社が多いことも何回か書いた。それは幾つかの要因があるが、根本は「日本民族の優秀さ、真面目さ」に起因していると思う。

また250年の長きにわたった徳川幕府によって、おおよそは平和な国の士農工商という身分制度の中で商人は大衆=町民相手に「商い」というものを確立し、社会にとってなくてはならない存在になった。

そうした中で「商人の道」を説いた石田梅岩のような賢人が表れ、商人もその教えに耳を傾け、学び、一つの「生業(なりわい)」として社会に必要とされるようになった。

私が在籍した船井総合研究所は創業から15年は株式会社日本マーケティングセンターと称して、まさにマーケティング、特にその当時、成長していた小売業、量販店(チェーンストアー)のマーケティング戦略指導を売り物として多くの小売業の仕事をしていた。

その当時の売り物は「いかに競合店に勝つか」であった。

私はまだ20代から30代の前半であった。多くの小売業企業とおつき合いする中で「商業界の倉本長治先生」という名前をよく聞くようになった。大きく成長した量販店のイトーヨーカ堂、ジャスコ(今のイオン)、ニチイ(既に消滅)や全国のスーパーマーケットの経営者や専門店の店主が商業界のセミナーで学び、倉本長治先生に学んでいた。

私流に言えば、「倉本長治先生は昭和の石田梅岩のような人」である。おもしろいことに百貨店の多くは江戸時代から続く呉服屋から百貨店になっている。そしてその経営においては既に「商人道」の考えを経営理念にしていた。

だが、戦後の成長業態となった量販店(チェーンストア)にはそのような考え方はなかったようである。今から75年前の1946年、焦土と化した日本でたくましく事業と復興に乗り出し、起業に賭けるいくつもの小売業者がいた。当時は「露天商」「ヤミ屋」などと呼ばれていた。衣食住すべての物資が不足していた時代、商人はヤミ商品を調達し、戸板一枚ほどの場所で売りまくったという。商売のやり方は荒廃していたのである。

「売れればいい、儲かればいい」という商売のやり方、これでは長続きはしない。「みんなが敵」の商人は孤立していった。

こうした戦後の商人が精神的支柱として頼ったのが商家出身で商業評論家の倉本長治氏の存在であったと言われている。倉本先生は全国行脚して商人たちに孔子の教えである「忠恕の道」を説いた。「忠」は真実、すなわち、自分に誠実に生きること。「恕」とは人に対する思いやり、相手の立場に立つということである。

このようなことを説いた倉本先生の考えの中に「奉仕」「地域文化の向上発展、貢献」「社会の発展」などがあり、こうした考えを経営理念に使われている会社も多い。

日本の代表的な小売企業、セブン&アイ・ホールディングスの創業者、伊藤雅俊名誉会長のこんな言葉を記事で見たことがある。

「終戦直後、商売をやっていくには信用とそれを維持する誠実さ、すべての人に感謝する姿勢を貫くしかなかった」

この考えを具現化した社是は

「私たちは取引先、株主、地域社会に信頼される誠実な企業でありたい」

「私たちは社員に信頼される誠実な企業でありたい」

である。セブン&アイグループ企業が資本市場からの信任が厚いのはこの社是の存在が大きいと言われている。

江戸時代に生まれた「商人道」は「日本の商人」をつくり、知らず知らず、その考え方は現代の日本の会社経営に浸透している。

このように戦後商人に多くの影響を与えた倉本先生の「商売十訓」がある。これはどんなビジネスをやっていようとも不易である。参考にしていただきたい。


「商売十訓」

1.損得より先きに善悪を考えよう
2.創意を尊びつつ良い事は真似ろ
3.お客に有利な商いを毎日続けよ
4.愛と真実で適正利潤を確保せよ
5.欠損は社会の為にも不善と悟れ
6.お互いに知恵と力を合せて働け
7.店の発展を社会の幸福と信ぜよ
8.公正で公平な社会的活動を行え
9.文化のために経営を合理化せよ
10.正しく生きる商人に誇りをもて