和田の本棚(2022.1 №51)

 

和田の本棚

和田の書棚から「気になった一冊」をとりあげて紹介いたします。

著者:伊集院静

発行所:講談社

2018年1月5日第1刷発行

定価:1170円(税別)

<本紹介>

20歳で弟、35歳で妻・夏目雅子との死別を体験してきた作家が語る、強くやさしく生きる方法――。2011年03月19日に発刊された「大人の流儀」シリーズは累計206万部(既に第10弾「ひとりを楽しむ」が刊行済)を突破しているが、その第8弾である本書は「週刊現代」2017年2月11日号~2018年10月6日号の連載から抜粋、修正して単行本化されたものである。

<気になった言葉>

◎まだ二十歳代の若い娘が、苦しい時、嘔吐を繰り返していた時でも、私が病室に入ると笑ってくれていた。「そんなことができるはずがない」…あの笑顔はすべて私のためだったのだ。彼女は自分が生きている間は、このダメな男を哀しませまいと決心していた。人間は誰かをしあわせにするために懸命に生きるのだ(16P1L~)

〇人間が生きるということは、どこかで過ちを犯すことが、その人の意思とは別に起こるのである(85P6L~)

〇安堵を得ることは人の普段の暮らしの中でそんなにあるものではない。それほど人間は少し間違うと、不安をともなう領域のそばで生きているのだろう。それを解消してくれたり、忘れさせてくれるのが家族であり、友であり、隣近所・・・・・つまり自分以外の人々なのだ(183P後ろから3L~)

〇よくしあわせはどんなものか、と訊く人がいるが、そんなもの知っている者はいない。ただ安心、安堵を感じる周辺に、しあわせに似たものがある、と私は信じている。父は少年の私に「大丈夫だ、と言える男になりなさい」と言った(184P1L~)

※…は中途略を表わします

[感想]

十数年前、日経新聞のコラムで一見派手なプライベートとは裏腹の、「才能で書く人もあろうが、長続きしない。誠実、丁寧、根気が基本で才能など少しあればいい。さらに言えば、頭で書いたものより身体で書いた作品の方が読者に何かを与える」と言い切られていたのが目に留まった。「こんな人だったんだ!」と驚き、人から勧められた「受け月」という小説をようやく手にしたことを覚えている。

「人間は誰かをしあわせにするために懸命に生きるのだ」と独り言ちるシーンが冒頭の章に出てくる。

その冒頭の言葉が、この本を読み終える頃に何となく腑に落ちてくるような・・・「こういうことかなあ」とふわりと実感させるような・・・。人はこういうことを実感するために生きていくのではないかなと思うし、自分の器に応じてそうした言葉が心にしまわれて、経験によって引き出しが開くのも読書の醍醐味だと思う。

家族とか自分の大事な人を「幸せにしてあげたい」と思えた時、確かにそれは(大事な人がいるということも含めて)幸せな時間。華やかさだったり光の下には影があるし、人間はとかく不安にかられるもの。「安心、安堵を感じる周辺に、しあわせに似たものがある」、言われてみると実感する。こういうことをさらりと言葉にのせるってやはりすごい。

[和田のコメント]

私は「人生は生まれてきて死ぬまで役割探しの旅である」と思っている。その役割が分からないまま残念な生き方をする人も多い。悲惨な生き方をする人も多い。それでも人は何らかの使命をもって生まれてくるのだ、と思う。

その使命の一つがこの本のタイトルの「誰かを幸せにするために」なのではと思う。

この本のシリーズでのかなりの部分に彼の家族のことが出てくる。それは作家の生い立ちによるものなのかは分からないが、父に対する想い、それは「絶対的存在」としてある。母は百歳を迎えようとしているが、元気で一人で住んでいる。その母への思慕の深さは並々ならぬものを感じるし「母とはこういう存在であるべきだ!」という思いを感じる。

作者の生き方、考え方の根底にあるのはこの「両親の存在」なのだと思う。そして会津藩の「什の掟」に「ならぬものはならぬものです」というのがあるが、作者のエッセイの中にこの考え方が脈々と流れているのも特徴だと思う。

両親の影響を受けて生きている作者は幸せだと思う。